平成21年3月11日、東日本大震災が起きてから13年を迎えました。私自身は山形市にあって大きな被害にあいませんでしたが、私の生まれた東松島市の父親の実家は跡形もなく津波に流されてしまいました。石巻など海岸沿いの町では多くの方が亡くなり、13年たった今も、復興がすべて終わったわけではないことは皆様もご存知のことと思います。毎年この時期になると、災害の怖さ、生きていくことの難しさなど様々なことを考えさせられるのであります。自分の住んでいる町、仕事や人とのつながりなど、普段はあまり意識しないけれど大切にしなければならないと感じています。 さて、当院の30年間を少し振り返ってみます。当院の歩みを3つの時期に分けることが出来ます。
1.平成6年度から平成13年度までの8年間を創成期
2.平成14年度から平成23年度までの10年間を病床拡張期
3.平成24年度から令和5年度までの12年間を病床維持期としておきます。
創成期について
当院は平成6年4月に病床数63床で開設され、同年5月県から老人病院、特例許可病院として指定されました。同年9月には医療法人社団「明山会」として認可を受けています。特例許可老人病棟というのは、昭和58年から認められており、老人慢性期疾患の患者を収容する病室については、人員配置基準の特例(すなはち少ない人員配置でもよい)が認められていました。平成5年に療養型病床群、平成12年に介護保険制度が、急速に進む少子高齢化に対応するため制定されました。特例許可老人病棟は平成14年までの特例となり、老人病棟でスタートした当院も療養型病棟へ移行する必要が生じてきた時期と言えます。
病床拡張期について
この時期は、現在の東病棟の増改築が平成13年9月に完成し、創成期から取り組んできた老人病棟から療養型病床へ移行を実現した期間です。創成期の最後に180床だった病床はこの10年で6個病棟322床へ大幅に病床数と人員を増やしました。この時期に重要なこととして、平成18年4月から脳血管、運動器、呼吸器リハビリテーション料の認可を受けていることです。
病床維持期について
病床数が現在とおなじ322床ですが、平成24年度からの6年間を前期、平成30年度からの6年間を後期と2つの時期に分けることが出来ます。 前期では医療区分、すなはち医療必要度が基準に充分満たなく、入院基本料が上下し、積極的に在宅に帰すことはしなかった時期です。一方、後期からは医療要件の高い患者さんの受け入れを積極的に行い、平成30年度からは入院基本料の上位基準を継続維持できています。また、後期での大きなこととして、リハビリテーション療法士を前期の約3倍に増やしたことが挙げられます。
私が赴任したのが平成30年4月であります。最初にしたことは、バランススコアカードの導入です。スウォット分析をみんなで行い作成した、ミッションは「患者さんに愛され、地域に信頼される慢性期病院を目指します。」であります。 ビジョンとしては、①慢性期病院としての医療、看護、介護、リハビリの質向上を図る。②地域医療連携を強化し、いつでも受け入れる体制を作る。③訪問リハビリ、訪問看護、通所リハビリ、居宅介護支援事業により在宅を推進する。④健康診断事業により地域の健康管理に寄与する。⑤ワークライフバランスに努め、働きやすい職場を作る。⑥積極的なキャリアアップにより、リーダーの育成と人材確保を図る。であります。 これらを、病院全体として共有し、医療、看護と介護、リハビリテーションを三本柱として、それぞれの部署でもBSCを作成、職員個人にアクションプランに携わってもらっています。また、QC活動にも重きを置き、ちょっとした疑問や問題をQC手法にのっとって理論的に解決していくことを各部署にしてもらい、毎年発表して審査をしています。 その結果、病床維持期において、年間入院患者数数と在院日数について前、後期を比較すると、年間患者入院数は後期が前期の40%増、在院日数は後期が前期の約70%へ減少しました。在宅復帰の推進とリハビリテーションの充実が病院全体の活性化をもたらしています。
以上から当院の30年間をまとめると、63床の老人病棟からスタートし、現在では多くの急性期病院、診療所、介護施設からご紹介をいただき、322床の療養型として300人を超える職員をかかえる慢性期病院となりました。この間に多くの方々が当院を支えてくださいました。 今後この病院として何を目標としていくべきか、私なりに希望を込めて考えてみますと、病院機能評価の受診とリハビリテーション病棟の建設、そして在宅医療の更なる推進であろうかと思います。
最後に、30年にわたり当院に関わってこられた方々、すべての人に感謝し、今後とも地域に根差した慢性期病院として持続的に発展できるよう努めて参ります。
令和6年3月 吉日
山形ロイヤル病院院長 熱海 裕之